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度胸と倫理について思うこと
今日はビジネス的な話ではなく
ちょっと思ってることを徒然と
書いてみたいと思います。

ただテーマは重く、
少しイジメ問題の話や感情の
ことを書いていきます。

読むと気分が良くない人も
いるかもしれないので、

その際はこの時点でそっと
メールを閉じてもらえると安心
かなと思います。






最初は、度胸と倫理について。


私は小中高と平成の時代を
過ごしてきたわけですが、

親世代は当然昭和で、
その頃からの価値観を教育として
施されてきました(年齢は40歳)。


なので、昔の少年マンガにある
ようなセリフが日常にもありました。

そのなかのひとつに
「お前、度胸ねーなー!」があります。


安全が概ね確保された
バンジージャンプを飛べないとか
飛行機に乗れないとかの話から、

お店のものを盗んでこいとか、
好きな人の名前をみんなの前で
言ってみろとか、

なんかそういうやりとりが
平気が飛び交ってた気もします。


「度胸がない」と一括りにいっても、
犯罪レベルのものから倫理的に問題が
あるものもすべて含めて、

ぜんぶ「度胸ねーなー!」なんです。

子どもの頃はそういう判断も
自分でちゃんとできないから、

度胸がない子は悪い子、
と思い込んでしまうことも
あるよな~って思うことがあります。

とくに倫理については
人によって「倫理観」が異なる
ような気がしています。

そうなると、色々なことが
ややこしいな、、と思うのです。

 
運のよさと社会問題

自我がわりとはっきりする
5才~8歳ぐらい(年中~小二)
の子どもみていて

「運がいいとは?」と
考えることがあります。

ここではスピリチュアル的な運気
の話ではなく、本人が

「今日は運がいいなー(良い日だー)」
と思うようなレベル感の話です。


子どもは、まだ社会との距離感が
イマイチつかめていない時期です。

とくに親との距離感や、倫理、
マナーとの距離感もつかめていない
ような年代なのかなと思います。


すると本人的に、

・好きなことができた
・1日が楽しかった
・今日は大満足だった

と感じる裏がわに、

・自分が好きなことをやる裏で
だれかの気持ちを台無しにした
(おもちゃを独り占めしたとか)

・1日が楽しかったと感じる裏で
けっこう周囲の人を振り回していた
(あれヤダ、これがイイ)

・今日は大満足だったと感じる裏で
まわりの大人は心身ともに疲弊、

なんてことは日常的によく
起こっているような気がしています。




「人間万事塞翁が馬」
「禍福は糾える縄の如し」

じゃないですけど、
こういうメカニズムって

スピリチュアルな運気の話も
あるとは思いますが、

じつは同じぐらい本人の感情と
社会とのズレや不和があるような
気もしています。

なので嫌なことが続いたら
(運気が下がってると感じたら)

自分ひとりの時間をつくって、
ていねいに自分を満たしてあげると

いったん社会との摩擦がない状態で
自分を満たし、波動を高め、その結果
あらためて外に出たときに幸運を呼びこむ……

というか、

自分が満たされているので
社会との摩擦に耐えうるというか、

余裕があり、相手に良い気分を
おすそ分けできて波動の心地よい
サイクルが生まれるのかな、

なんて思ったりするのです。
 
イジメはだれが悪い?

子どもが小学校に通うようになり、
中学校に通うようになり……

と成長するにつれて、
イジメというキーワードは
なんとなく気になる表現です。

平和が一番だし、
子どもが加害者や被害者になると
親としてはどちらもきついし、

子どもにとっても
俯瞰的にみるとやはりどちらも
つらいことだなと思います。

いじめられた当人はもちろん、
いじめる側も背景にのっぴきならない
事情があることもあるでしょう。


これって結局、
どういう構造なのだろうと
一時期ずっと考えていました。

何の解決策にもならない、
ほんとにただの構造理解なのですが、

基本は「同調圧力」の話が
ベースにあるように思っています。


よく問題視される
「いじめられる側がわるい」という話。

例えばですが、
好きな子を追いまわす男の子がいて
それで女の子が傷ついて、

それを阻止するためのクラスが
一致団結して止めさせようとして、

その状態を「いじめ」と
男の子が捉えれば、

それは「いじめられる側がわるい」
という表現になるかもしれません。


でもこれを男の子の親の視点で
考えてみると、

「いじめられる側がわるい」
とは考えない気がします。

女の子を追いまわして
傷つけたのはわるいし謝罪すべき
ことではあるけど、

いじめられていると本人が思う
状況とは話が違ってくる。


でもクラスのなかにいる
生徒たちは感情が入り乱れていて、
区別の境界線もあいまいで、

そこに対してもう割り切れない
感情だって存在するかもしれない。

(告白して振られた相手とは元の
友だちには戻れない。あくまで以前
までは友だちで今は告白後の新しい
友だち関係であるという状態)


こんなふうに考えると、

そもそも同調圧力的な意思が
発生するような構造そのものに
問題があるような気がします。

価値観や倫理観がさまざまな、
しかもまだ未熟な状態で一ヶ所に
詰め込む学校のスタイル。

誰がわるいという話ではなく、
同調圧力の意思が生まれてしまえば
結果的にマジョリティとマイノリティの
二極化が発生してしまう。


もしもクラスで独りぼっちでも
それは「友だちといるのが当たり前」
という価値観の中に詰め込まれれば

独りぼっちは悪やマイノリティに
押しやられてしまう可能性があります。


だからあえてだれが悪いのかと
結論をつくるのであれば、

構造をつくった国の問題、

もしくはその構造から問題が
生じた際にすぐ開放しなかった
学校側の責任、

ということは考えられると思います。

ただそれを、担任の先生や校長先生
という個人に向けた「悪者」にすると
またちがう気もしています。

ゆえに、社会問題なのだろうなと。
 
社会問題と使命

最近、私が尊敬する経営者、
マザーハウスの山口社長の本を
読み返しました。

20代の頃に読んで以来だったので
すっかり内容を忘れていました。

読んで、ああそうだった、
と思ったのでした。

20代の頃に感じたものとは
まったくべつのものがそこには
ありました。




山口さんは、小学校のときに
ひどいイジメにあっていた。

その反動で中学では社会的に
問題児とされる不良になった。

それを克服したくて柔道部に入り、
高校では工業高校の男子柔道部に入り、
全国大会で入賞するレベルにもなった。

学校の上から下までを毎日逆立ちで
上り下りしたり、

顧問の先生や男子柔道部の先輩
からは何度も締め落された。

そこから勉学に向き合い、
慶応大学に入学し、開発経済と出会い、
バングラディシュという発展途上国での
ブランドづくりで起業をする。

世界最貧国はお金ではなく心が
貧しい国で、何度も裏切られた。

何度も何度も裏切られた。




このエピソードを読み、
小学校時代に山口さんの心に
生まれた「空洞」を感じたのです。

どこかに、

「人はどうせ裏切るものだ」
という心が巣食い、

でもどこかで
「人は信じることができる」と思う
自分がいて。

その葛藤の強さが使命に対する強さを
生み出しているのかもしれない。

そんなふうにも思ったんです。

実際、本の中のエピソードで
何度も山口さんは苦境に立たされます。

経営的、資金的な話の背後には、
こうした「人間への信用・信頼」が
裏切られる瞬間がありました。

でもそれをまわりの仲間が、
とくに現代表の山崎さんが強く
支えてきた。




社会問題が生む心の闇や空洞は、
もしかしたら避けられないものだと
したら、

こういう助けてくれる人の存在が
あって世界は初めて成立するのかも
しれない。



ここまでの結論ではないですが、

異なる価値観や倫理観、
同調圧力の意思が生まれる社会
という大きな構造への抵抗勢力は、

それもやはり「人」なのかなと。


その繰り返しでこの世界の
エコシステム(生態系)は成り
立っているのかもしれない。


何の解決にもなっていないけれど、
構造を理解してそれに対していまできる
ことをやっていく。

そういうことを今一度考えてみたい。

そんなことを最近、思っているんです。

 
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